沖縄戦での第32軍の戦い

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太平洋戦争末期の沖縄攻防戦で日本軍守備隊である、第32軍は沖縄本島でどう戦ったのか?

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沖縄に日本軍守備隊を展開

1944年(昭和19年)にマリアナ諸島が陥落し、太平洋から米軍が日本本土へ侵入できるようになり米軍がフィリピンへ進撃すると日本列島の周辺に米軍が迫る勢いを見せた。こうした戦局で焦点となる地域があった。それが沖縄である。

日本列島の南端にあり、沖縄本島は飛行場が建設可能な土地で艦隊や船団が停泊できる湾もある。米軍から見ると日本本土へ上陸作戦を行う為の拠点に最適な地域が沖縄であった。
日本側もそれは自覚しており、飛行場の建設部隊ぐらいしか居なかった沖縄へ陸軍は第32軍を送り込む。第32軍は牛島満中将が指揮する第9師団・第24師団・第62師団・独立混成第44旅団を中心とした軍団です。海軍も沖縄方面根拠地隊を配備した。

引き抜かれる戦力に第32軍は独自の作戦に

第32軍は3個師団の兵力で早期に反撃に出る沖縄の防衛作戦を計画するものの、台湾防衛に戦力を増強するとして第32軍を指揮下に置く第10方面軍は1個師団を第32軍から引き抜く事を決める。第32軍は反対したが第9師団が台湾へ引き抜かれ補充に1個師団を送ると大本営が約束したが来る事は無かった。

第32軍は船舶部隊や後方支援の部隊を戦闘部隊に変えたり、沖縄の少年を動員した鉄血勤皇隊や青年を動員した防衛隊で戦力を補おうとしたものの兵力不足は変わらない。ついに作戦方針を持久戦に切り替えた。
迎える1945年(昭和20年)4月1日に米軍は沖縄本島に上陸を開始した。嘉手納の海岸に上陸した米軍は何の抵抗も受けず海岸を確保し内陸へ進軍した。展開している一部の部隊が交戦するぐらいで第32軍主力は動かなかった。
大本営と第10方面軍は反撃に出るよう促すが、戦力へ減らされ補充されなかった第32軍はあくまで持久戦に徹する。

第32軍は奮闘するも力尽きる

米軍が第32軍と本格的な戦闘に入ったのは4月5日からであった。沖縄本島南部の首里近郊に築いた陣地との戦いに米軍が苦戦する。第32軍は嘉数高地などに地下壕を掘り米軍の砲撃や爆撃をしのいで米軍が接近した時だけ兵士達は出て戦った。

善戦した第32軍でしたが戦力は消耗するばかり。5月3日の夜に第32軍は戦力がある内にと総攻撃に出た。温存していた軍砲兵隊が猛烈な射撃を浴びせ、船舶部隊が舟艇で米軍の背後に回り込もうとしたが米軍はすぐに立ち直り反撃して日本軍の攻撃を頓挫させた。

5月下旬になると首里防衛線を支えるのは困難と判断した第32軍は首里を撤退し南部へ撤退する。この撤収は避難していた住民を地上戦に巻き込む事になり合わせて9万人を越える多くの犠牲者を出す結果となる。戦い続けた第32軍は6月23日に牛島中将と参謀長の長勇少将が自決して日本軍の組織的抵抗は終結する。しかし牛島が最後に出した徹底抗戦の命令もあり終戦まで戦う部隊もあった。

featured image:Post-Work: User:W.wolny, Public domain, via Wikimedia Commons

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