太平洋戦争で建造された空母で「信濃」ほど不運とも言える境遇に置かれた空母もありませんでした。
「信濃」が建造されている時を追います。
建造中止から空母へ
空母「信濃」は戦艦「大和」の3番艦となるべく1940年(昭和15年)5月4日に横須賀海軍工廠で起工した。
しかし太平洋戦争が勃発すると真珠湾攻撃とマレー沖海戦で航空機が戦艦を撃沈した戦果を挙げた事もあり海軍は「信濃」の建造を中止しドックから出られる状態までの最低限の工事をして建造は中止された。
呉でも「大和」型戦艦の4番艦とされる戦艦の建造が中止された。日本海軍が戦艦を主力とするのを諦めたと言うよりも他に優先する艦艇の工事を優先する為でもありました。
1943年(昭和18年)2月に「信濃」は空母に改装するとして建造は再開された。前年のミッドウェー海戦で空母4隻を失った為に船体は出来ている「信濃」が空母化の対象となったのです。
建造中止そして急速建造
「信濃」の建造が再開されたとはいえ横須賀工廠は空母「雲龍」の建造、水上機母艦「千代田」の空母改装工事、海防艦の建造に戦闘で損傷した艦艇の修理に追われていた。工廠で働く工員が兵士として招集され熟練した工員も招集された。
徴用で集められた新人工員で増員されたが全体としての技能の低下は増大する建造や修理の工事の全てを進めるのは困難になっていた。ついに1944年(昭和19年)1月から「信濃」の建造を中止し「千代田」や「雲龍」の完成が優先された。この為に竣工予定を1944年(昭和19年)12月から翌年2月(3月末ともされている)へ延期となる。
3ヶ月も工事が止まった「信濃」に今度は10月には完成させよと命令が下る。6月のマリアナ沖海戦でも空母を失い「信濃」が必要とされたからだ。
10月完成は11月に延び11月19日に竣工とされ、海軍に引き渡された。本来の竣工予定よりも3ヶ月前倒しの急速建造で「信濃」は空母となった。
終わらなかった工事と事故
竣工し海軍に引き渡された「信濃」ですが工事は完了しておらず、急速建造で居住区の工事や防毒区画の気密試験など省略された作業もあった。また機関は12基のボイラーの内で8基しか整備できていなかった。
艦内が浸水した時に閉じて浸水を最小限に抑える防水扉には残る工事の為にあえて開けている所もあるなど急速工事で生じた無理が「信濃」に響いていた。
11月6日に進水した際には「信濃」はドックの注水作業のミスから「信濃」はドックの壁に衝突してしまう。11月19日の引き渡し式の際には横須賀鎮守府長官の塚原中将を航空機用エレベーターに乗せた際にエレベーターが止まるトラブルが起きるなど急速工事と徴兵で工員が引き抜かれた弊害が現れた。
「信濃」は11月29日に敵潜水艦の魚雷攻撃を受け浸水が広がり傾斜し転覆して沈没した。戦局によって建造の中止と再開を繰り返しついには追い立てられるように無理矢理竣工した「信濃」は不運な艦であったと言え関わる関係者をどんなに追い込んでも悪い結果した生じない事も示している。
featured image:Shizuo Fukui, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で


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