80年目を迎える第二次世界大戦ドイツの終戦

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第二次世界大戦を始めたドイツは1945年4月末に敗北し降伏します。
80年前のドイツはどう敗戦を迎えたのか?

目次

東西から攻められるドイツ

1939年にポーランドへ侵攻し第二次世界大戦を始めたドイツはヨーロッパを席巻したが1945年に入ると東はソ連軍が、西からはアメリカとイギリスを中心とした連合国軍がドイツ本国に侵攻しました。

4月下旬にはドイツの首都ベルリンが戦場となり、4月30日にアドルフ・ヒトラー総統が自決しヒトラーの政権は崩壊する。それより少し前の4月27日にはパルチザンに囚われていたイタリア社会共和国の元首ベニート・ムッソリーニが処刑された。1945年4月末はドイツとイタリアの枢軸陣営の首脳がこの世を去りヨーロッパの大戦は終わりに近づいた。

ヒトラーの亡き後のナチス政権

ヒトラーが亡くなってすぐに戦争が終わった訳では無く、新たな政権が戦争の幕引きを担当する事となる。ベルリンに残っていた啓蒙宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルスがヒトラーが死の直前に首相に指名された。そしてヒトラーを継ぐ指導者には海軍総司令官のカール・デーニッツが指名され大統領となった。

終戦時にデーニッツはドイツ北部のフレンスブルクで指揮を執っていてベルリンに居なかった。新たな政権は大統領と首相が遠く離れた状態で発足した。
ベルリンのゲッベルスは独自にソ連軍と接触する。陸軍参謀総長のハンス・クレープスがソ連軍のワシリー・チェイコフ司令官にヒトラーの死を伝えて休戦を求めたがソ連側は無条件降伏しか認めないとゲッベルスの要求を拒否した。

5月1日の夜にゲッベルスは家族と共に自決し翌日にはベルリン防衛軍のヘルムート・ヴァイトリング大将がソ連軍へ降伏を申し入れベルリンはソ連軍の手に落ちた。

終戦の幕を引いたデーニッツ

デーニッツはフレンスブルクで新たな政府を立ち上げ5月5日は初の閣議を開いた。この新政府が行う仕事は戦争の幕引きだった。もはやドイツ本国は連合国軍とソ連軍が占領地を広げてドイツ帝国は崩壊していた。

デーニッツは連合国軍に近い部隊の個別な降伏を進め、ソ連軍に近い部隊の降伏を遅らせドイツの国家的な降伏する時期を見計らっていた。ソ連軍からの報復的な行動から民間人や軍人の退避を行っていたからだったが、連合国軍からドイツ軍の全軍降伏をしない限りは交渉をしない意向が伝わるとデーニッツは全軍降伏を決断する。

5月6日に国防軍最高司令部作戦部長アルフレート・ヨードルがフランスにある連合国軍遠征最高司令部へ行き5月7日にヨードルと連合国軍最高司令官ドワイド・D・アイゼンハワーと降伏文章の調印を行いドイツは連合国へ降伏した。翌8日夜にはソ連軍との降伏文章の調印も行いドイツは全面降伏した。降伏文章の調印式は翌日9日未明まで行われ5月9日がヨーロッパにおける終戦記念日となった。

5月12日にアイゼンハワーはデーニッツの政府に解散を命令した。降伏し占領するドイツにドイツ人を代表する政府は必要ないと判断されデーニッツと閣僚たちは逮捕された。この間にドイツ軍は民間人と出来るだけ西へ、またはオーストリアへの脱出を図りソ連軍から出来るだけ逃れる戦いを数日続けて降伏する。

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