郊外の団地にある、小さなバス停。
私は毎朝決まった時間にそこでバスを待ち、駅へ向かう。
顔見知りとは言えないが、なんとなくお互いを知っている関係の見慣れた人々が、今日も列を作っていた。
見慣れない女
ふと列の先頭に、見慣れない女が立っているのに気づいた。
灰色のくたびれたコートを羽織り、肩でぼさりと切りそろえられた髪、肌が異様に白い。
彼女の指先はわずかに震え、目の焦点が定まらず空を見つめている。
この時間帯に初めて見る顔に、列の誰もが興味を隠せずにチラチラと視線を送っていた。
やがてバスが到着し、乗車口のドアが開く。
女は素早くバスに飛び乗ると、運賃箱の前で立ち止まることもなく、するすると人の間をすり抜けて最後尾の窓際の席に座った。
彼女は外の景色を食い入るように見つめているが、その視線はどこか虚ろで、子どものような仕草で無垢さを感じさせた。
出発したバスが坂道に差し掛かった瞬間、運転手が突然急ブレーキを踏んだ。
乗客たちは前のめりに押し出され、小さな悲鳴がところどころから聞こえる。
運転手は大きな窓から外を確認するが、そこには何も見当たらなかった。
「人が飛び出したように見えたのでブレーキをかけましたが、どうやら気のせいでした」
そうアナウンスされたが、乗客たちの不満は収まらず車内はざわついていた。
その間も、あの女はうっすらと笑みを浮かべているように見えた。
帰りのバス
その日は業務上のトラブルがあり、残業となっていつもよりも帰りが遅くなった。
最寄り駅から団地行きのバスに乗ると、今朝の女がまた最後尾の席に座っていたが、疲れ切った私は考えることもなく、彼女の反対側の席に腰を下ろした。
バスが順調に団地に向かっていく途中、突然、急ブレーキがかかる。
乗客は私と女、そして数人だけだったので、大きな騒ぎにはならなかった。
運転手のアナウンスも今朝と同じで要領を得なかった。
女は窓の外を見つめている。
団地のバス停に到着すると、時間は12時を過ぎていた。
女は誰よりも早くバスを降りた。私も立ち上がると、彼女が座っていた席に定期入れが落ちているのに気づいた。
おそらく彼女のものだろう、本当ならばバスの運転手に渡せば良いのだろうが、どこの誰だろう?と好奇心から、手渡してみたくなった。
下車してからそう経過していない、そう遠くへはいってないだろうとバスから駆け下りると、なぜか彼女はバス停に立っていた・・・落とし物に気がついて戻ってきたのだろうか?
いずれにしても、直ぐに返せてよかった。そう思い、定期入れを渡そうとすると、彼女の額から血が流れていて、髪が乱れている。目を大きく見開いて、じっとこちら見つめた。
私がギョッとして、咄嗟に視線を外した。
するとどうだろう?
突然、眼の前から彼女は消え去った・・・周りをキョロキョロと見回しても誰もいない。
街灯の薄明かりがぼんやりとバス停を照らし、私の手には彼女の定期入れだけが残っていた。
「たぶん、幽霊」
そう思うと恐怖が湧き上がり、団地の怪談を駆け上がって家に飛び込み、夕食を進める妻を無視して、布団に飛び込んだ。
妻は、なにが起きたか解らないが、私の動揺に気づき、訝しげに見ていた。
エピローグ
翌朝、休みでゆっくり起きると妻が定期入れを手に「ご近所さんのものだよね?」と聞いてきた。
あれは夢じゃなかった。いや、夢であってほしかった。
私は昨晩の出来事を話したが、現実主義の妻は「飲み過ぎ」と一蹴した。
定期入れに書かれた住所は、団地の2つ隣の棟だった。
あんなに怖い思いをしたのにと思いながら、早く忘れたい、なにが起きたのか、グルグルと気持ちが周り、結論として気持ちを落ち着けるため、その部屋を訪ねてみることにした。
訪ねると、穏やかそうなおばあさんが顔を出した。
定期入れを渡すと、彼女は涙を流しながら感謝し、10年以上前にバス事故で亡くなった娘のものだと話してくれた。
私は怖かった部分を少し伏せて話し、おばあさんと一緒に仏壇の前で手を合わせた。
怖い思いをしたが、なんだか、いい話になった。
※画像はイメージです。


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