戦火の都市伝説~大阪大空襲の夜に走った幻の地下鉄の正体とは

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皆さんは大阪大空襲の夜に大阪市街地を走った、幻の地下鉄の噂をご存じですか?
NHK朝の連続テレビ小説『ごちそうさん』でも取り上げられた電車は、一体どこから来てどこへ消えてしまったんでしょうか。
今回は終戦間近の大阪に突如として現れた、謎の地下鉄の行方を追ってみたいと思います。

目次

終戦を目前に控えた大阪の街を襲った惨劇

大阪大空襲は今を遡ること80年前、1945年(昭和20年)3月13日未明に発生しました。13日から14日に掛けて大阪上空に274機のB-29が襲来し、ナパーム弾とクラスター焼夷弾の大量投下を行ったのです。被害規模は市街地中心に広範囲に及び、無数の民家が炎上し、住民たちが焼け出されました。まさしく大阪は火の海と化したのです。

爆弾の直撃による死亡者もさることながら、火災の延焼による犠牲者は甚大な数に上りました。空襲の始まりは13日深夜、住民の大半が無防備に寝静まっていたのも被害を広げる要因になりました。
当初米軍機の照準点は浪速区塩草・北区扇町・西区阿波座に設定されていたものの、火災の煙が視界を阻んだせいで目測を誤り、周囲への誤爆を引き起こします。

この空襲で大阪の中心部は焼き尽くされ、老若男女合わせて4千名近い死者が出ました。3日前の10日には東京大空襲が行われ、そこに原爆投下が追い討ちをかけ、日本の敗北宣言への布石となります。幻の電車が走行したのは、そんな空襲のさなかでした。

営業時間外の地下鉄で奇跡が起こる

B‐29に狙われた大阪環状線の内側は瞬く間に火の海と化します。人々は阿鼻叫喚逃げ惑って地下鉄入口に殺到するも、そこにはシャッターが下りていました。
・・・もとい、下りているはずでした。

本町駅で地下鉄に乗り込んだ生存者は「閉鎖されているはずのシャッターが何故か開いていた」と言い、心斎橋駅から乗り込んだ生存者は「梅田は燃えてません」と駅員に誘導されたと言います。大国町駅では避難民が駅員を説得しシャッターを上げたと伝わっており、どれが真実かわかっていません。共通しているのは「通常閉まっているはずの入口が何故か開いていた」こと。
しかしこれも解せません。避難民が駅員が説き伏せたのが正しいとして、彼らは何故営業時間外の地下鉄に、示し合わせたように待機していたんでしょうか?
大空襲の日時を予期していたとしか思えない、不審極まる行動です。

さらに不思議なのは構内が無人の場合で、入口シャッターを上げた犯人は不明のまま、謎だけが残されました。なお心斎橋変電所の当直職員は「駅から指示があって電車の動力源となる電気を送り続けた」と証言しています。
兎にも角にも心斎橋駅・本町駅・大国町駅から地下鉄に流入した人々は、心斎橋方面から天王寺方面へ抜ける電車に乗って一路避難し、無事命拾いしたのでした。

新聞の投書欄で話題沸騰~戦後に取り沙汰された幻の電車の正体

幻の地下鉄が脚光を浴びたのは戦後随分経ってから。
1997年に朝日新聞の投書欄「声」が京都大学名誉教授・村松繁の体験談を載せた所、同じ電車に乗ったと断言するハガキが殺到したのです。最終的な証言者は50人を超えました。
大空襲時に国民学校の五年生だった村松氏は、心斎橋駅から地下鉄に乗り込み、梅田方面へと逃れたそうです。これを受けた大阪市交通局は調査を実施したものの、資料の大半を空襲で焼失していた為、詳しいことは何もわかりませんでした。

当時の駅員も全く心当たりがないと証言。業務引継ぎの申し送りがなかったことに加え、終電の後は送電を止める決まりになっていた為、営業時間外の地下鉄運行はまずあり得ないと首を傾げます。
一体誰がこの電車を操縦したのでしょうか?

元職員は「朝5時の始発で職員を送って行くことが稀にあるので、それ用に走らせた電車ではないか」と推理しました。そうすると午前3時台や4時台に乗車した、生存者の証言と食い違います。
NHKの検証番組は空襲警報解除後、交通機関に対する救援指令で運行された電車である説を提示しましたが、こちらも確証はありません。
それというのも戦時の地下鉄は軍事輸送に使われており、運行ダイヤの詳細や職員の勤務表は機密扱いだったのです。日本が敗戦を迎えたのち、戦争責任追及を恐れた上層部の根回しで当時の資料は処分されてしまいました。戦後半世紀が経ってから幻の地下鉄の存在が表面化したのは、日本軍の裏工作が綻び始めた事実を示します。

上記のエピソードは2013年の朝の連続テレビ小説、『ごちそうさん』でも取り上げられました。
該当回にて主人公のめ以子が地下鉄心斎橋駅構内に逃げ込むと、狙い定めたようにホームに電車が入ってきます。結果、め以子たちはその電車に乗って梅田方面に避難しました。
大前提としてめ以子が心斎橋駅に向かったのは、大阪市職員で地下鉄敷設に携わった夫に、「あそこ逃げれば大丈夫」と手紙で教えてもらったからでした。ナイス機転です。先述の村松氏は駅員の誘導で地下鉄に入ったと証言しています。別の女性は「命が惜しいなら地下鉄に入れ!」と促す憲兵の声に鞭打たれ、母と駅に向かいました。

共通しているのは被災現場に立ち会い、避難民を救った「誰か」がいたこと。駅員・憲兵・民間人と証言はまちまちですが、彼らは決して名乗り出ず、自らの手柄をひけらかしませんでした。そうできない事情があったのでしょうか?
ここからは筆者の妄想ですが、空襲の犠牲者が身内だけでも救おうと、幽霊となって現れたのかもしれません。避難民が乗った電車が現在に至るまで特定されてないのは、電車もまた幽霊だったからではないでしょうか?
鉄道と心霊は昔から相性が良く、数々の怪談が語り継がれてきました。水木しげる『ゲゲゲの鬼太郎』にも罪人を地獄に運ぶ、幽霊電車のエピソードが登場します。

嘗て東京都で運行していた玉川電車は通称幽霊電車と呼ばれ、終電後に女性1人を乗せて走行する、路面電車の目撃談が絶えませんでした。曰く、停留所が近付くとスーッと消えてしまったそうです。
駅には死者と生者が大勢集まります。人身事故で命を落とす人もいます。だからこそ”きさらぎ駅”を筆頭にした異界駅が増え続け、彼岸の路線図が更新され続けているのです。
あの世とこの世を繋ぐ電車が本当にあるのなら、大空襲の夜に転移することもあり得るのではないでしょうか?
80年前にたまたま現れ、多くの人々を救った電車が異界駅の区間を走っていたら、ロマンを感じてしまいます。

駅員が口を噤んだ理由を考察

以上の疑問は運転士が名乗り出れば一発で解決すること。なのに何故名乗り出ないのでしょうか?それに対し2009年の朝日新聞関西版は、職務規定に違反する為口を噤んだ可能性を指摘しました。
実は戦時下の日本政府は、地下鉄での避難を禁止していました。1943年(昭和18年)の『時局防空必携』改訂版にも、「地下鉄道内への避難は許さぬ」としっかり書いてあります。

人が集まるところが爆撃の対象になるのは必定。最悪天井や壁が崩落し、生き埋めの二次災害を招きかねません。御堂筋線は浅く掘られた地下鉄なので、その危険性は大いにありました。故に黙っていた方が賢いと判断したのです。戦後の混乱を目の当たりにすればこそ、貴重な働き口を失いたくはないですよね。
真相は不明なものの、多くの人々を救った電車には心からお疲れ様と言いたいです。

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