どうもこんにちは。坊さんライターのたぶたぶです。
この間、法事に来られた方とお茶の席でお話をしました。
この方はN市にお住まいで、有名な観光地の善光寺まで徒歩で行けるところにお住まいで、散歩がてらよく行くそうです。
お戒檀巡り
みなさん善光寺の御本尊真下にあります「お戒檀巡り」って行ったことありますか?
念のため紹介しますとこれは修行の一貫で「仏様の胎内巡り」とも呼ばれ、暗闇の中を手すりを頼りに進み、ご本尊の真下にある「極楽の錠前」に触れることで、ご本尊とより深い縁を結び、生まれ変わるという意味合いがあります。
私も中学生くらいに1回と大人になってから2回、計3回行ったことがあります。
要はどんなところかというと、完全なる漆黒、真っ暗なんですね。
木漏れ日やうすーく光ってるとかあるいはひとつの点のような光すらないんですよ。
しかも私、大人になって妻と来た時は、手すりに捕まったりあるいは壁に手をついて歩けばいいって事を忘れてまして、妻にいいところ見せようとしてイキってた部分もあったやもしれませんが、ただひたすらに暗黒の世界をどこに行っていいかもわからず突入してしまいました。
そんな状態なので出口を「探る」術がない。怖い暗いという感覚しかない、まさに「にっちもさっちもいかない」という不安の状況。このにっちもさっちも行かない、わからないどうしようもない、出口はどこだ、どうしたらいいんだという不安が覆い被す恐怖。
これは本当に言葉以上の重い感覚です。本当に恐怖の字の如くです。
人が生きようとする力
ただここで、人間の生きようとする力の凄さも体験しましたね。
それは「耳」です。
他の人の声が聞こえる方を辿っていくわけです。
すごいのは漆黒という環境のせいかその耳の力が研ぎ澄まされているんですね。
目からの情報がない、脳の処理能力に余力があるんでしょう。
そんな環境ですから周りのみなさん落ち着いて話す人の方が少なく、それなりに大きい声なもので出所の違いを聞き分けるのも難しい環境なんですが、よーく耳をすますと聞こえる方向を認識できるんです。
そうするとやや、安堵の心が産まれ、とりあえずなんとかなりそうだなと思えるようになります。
その声を辿れば正しい方へ行ける、つまり出口に行ける、目では見えなくてもいずれは出れる、この安心感が恐怖心を少しずつ消し去っていきます。
結果的にその声の主の近くに辿り着き、その方はちゃんと手摺に捕まってたようで出口に向かっており、私もちゃっかりついていって出られたというわけです。
怖いってなんだろう?
そうなりますとね、結局「怖いって、何で怖かったんだろうな」と考えたんです。
例えばいつも居る同じ部屋でも真っ暗と明るい時では怖さは違いますよね。
今回の善光寺も同じと思います、道がわかれば怖くないでも真っ暗で見えないから怖い。
もちろん暗いから怖い、それはそうです。
でもいつも居る場所の暗黒と普段いない場所の暗黒は違いますよね。
つまり「暗い」が怖い大きな理由ではなくて「わからない」って事が怖いんです。
お墓だって明るい時はそうでもないと思いますが、夜に行くと街灯とかで薄ら明るいとしても怖い、これは全てが見えるわけではないその環境が予測をしえない事が起きるんじゃないかと思うから怖いのではないでしょうか。
目→ みえないから怖い 暗い所
思考→ 予測つかないから怖い 意味わからん事言う人怖くないですか?
死ぬ→ その後どうなるかわからんから怖い
幽霊→ いるのかいないのか、いたら何をされるのかわかんないから怖い
味覚→ 食べた事ないけど食べれるというもの怖い食べたくない
などなど・・・どうなるか、どうなっていくのかわからない、これが本当に怖い原因なんですね。
怖さの本質
仏教的にはそれを「無明」といいます。
明るくない、つまりわからないという事です。
よく親御さんが子供に勉強しなさいといいますよね?
勉強はなぜするのか?
いい仕事に就く、お金持ちになるためなど様々理由を聞きます。でも、大きくいえば知識を増やして、わからないという状況を減らす、あるいはそうなっても対処するノウハウを身につける事が大切なんですね。
わからない事に何もできないのが1番怖いんです。
受験生のみなさんはこれから追い込みかと思います。
確かに進学に目的がなかった場合、勉強するのは大変しんどいかもしれませんが、でもそれは「色んな事で怖い思いをしない様に」する1番確実な方法です。
大変かもしれませんが、頑張ってください!
応援しています。
※画像はイメージです。


思った事を何でも!ネガティブOK!