皆さんは、正月といえば何を思い出すだろうか。
筆者は、初詣に行き餅を食べ、年賀状を見ること、後は寝正月というのが毎年の恒例である。
日本の正月は、文化的には旧年が無事に終わったことと新年を祝う行事としてあり、日本神話・神事による正月は、祖先の霊を呼び、慰霊する行事であった。
それが次第に分化し、新年のお祝いと、一年の無病息災を願うものに変わっていった。
その正月に、祭り崇められている神様がいる。
『大歳神(オオトシ)』という神だ。
この神は、神話にも系譜にのみあり、アマテラス等のよく神話に出てくる神からすればマイナーな神である。
一体、そのような神が、一年の一番大切な日である正月にどう関係があるのだろうか。
正月に訪れる『来訪神』の大歳神
『年神』と言えば、毎年正月に各家にやってくる来訪神であり、年神は大歳神と同じであり、神話では、稲荷神の迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)と兄妹神として描かれている。
母である神大市比売(カムオオイチヒメ)は、御子のご神徳がそうであったように、自身もまた農耕神・食料神として信仰される。
神名の「神」は神霊の発動の激しいことに畏敬して冠する接頭語、「大」は「偉大・立派」、「市」物々交換をするために人が集まるところを表し、名義を「神々しい、立派な市」と考えられ、名からして素晴らしい母なのだ。
素戔嗚尊(スサノオ)とその母の子にして、妹神は全国に神社の建立数がトップクラスの稲荷神というその大歳神が、記紀にもストーリーもなく、マイナーな神であるのはなぜなのか。
正月は、大歳神を迎えるため、古来より様々な風習がある。
玄関に置く『門松』はその大歳神の招くための依り代となり、『鏡餅』は大歳神への供え物である。
松と竹は、一年中落葉しない松、成長が早く生命力の強い竹を使うことで、生命力にあふれた一年として幸福を祈願して飾るという願いが込められているという。
鏡餅の形は、蛇を模していると言われ、「蛇」は古語で「カカ」、「鏡」は「蛇身(カカミ)」となる。
使用する段に重ねた白い餅はトグロを巻いた蛇の象徴で、つまり『白蛇=白竜』である。
つまり白蛇と関係する神だといえるのだ。
龍蛇信仰としての神
大歳を祀る大歳神社等は、島根県出雲地方付近に多く見られ、奈良県に鎮座する葛城御歳神社が総本社とされている。
五穀豊穣や穀物の神として崇められており、その豊穣のご神徳を特に西日本では田の畔にある祠などに祀られていることが多く、古来から農民の間で信仰されていたといえる。
同じ豊穣神である妹神のウカノミタマは、稲荷神で白蛇の姿をしており、同一視されている宇賀神はとぐろを巻いた胴蛇頭人の姿で老人の顔をしている。
蛇神と龍神は同じで、龍蛇信仰の神は皆、水に関わる水神としての顔を持つといえ、これによれば、大歳も龍神であるといえるのではないか。
また、田んぼに置かれる『案山子(かかし)』も、「かか=蛇」ということから、この大歳を連想されて作ったとも言われている。
記紀に登場していないとはいえ、大歳には多くの妻と御子がおり、その系譜は長く連ねられいるが、妻の一人である香用比売(かぐよひめ)は、なにか昔話を連想させるような神なのだ。
月の国に帰ったかぐや姫は謎のままであるが、大歳の妻になっていたのか。
大歳の正体は?
謎が多いこの大歳神であるが、何故にこんなにも崇敬され御子も多く、神々の系譜に乗っているにもかかわらず、記紀に記されず影の薄い存在であるのか。
それには、ある政治的な意図が隠されていると思わずにいれない。
有名映画『千と千尋の神隠し』で、白竜に姿を変えられるハクが、隠されてしまった自分の名を思い出すシーンがあるが、真の名は『ニギハヤミコハクヌシ』だった。
この映画から連想できるもの、水神で白竜=白蛇という関連性から、大歳もまた、神話の神武東征の章に出てくる『饒速日(ニギハヤヒ)』であることを連想できる。
ニギハヤヒは、アマテラスの孫であるという系譜が創られているのだが、それは捻じ曲げられた歴史だったのではないか。竹内文書によると、大歳こそニギハヤヒであり、神武が東征する以前の大和地方を治めていた初代大王であったといえるのだ。
スサノオの子である大歳が、名を隠されていることを暗示しているかのような映画だったわけだ。
スサノオは、出雲建国の祖神とされており、その子の大歳が大和を含めた、大国を手中に治め、大和国としたのではないだろうか。
しかし、神武等の日向系一族がその国を吸収するとともに、さらに藤原家による実権を握ることによる歴史の改ざんがなされた、と思わせる大人の事情を感じずにはいられない。


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