戦艦「大和」の3番艦として建造中であった「信濃」は途中から空母として作り変えられる。
そして竣工して残る工事を呉で行うべく出港した「信濃」でしたが・・・。
戦艦から空母に変わる
横須賀海軍工廠で建造されていた「大和」型戦艦の3番艦である「信濃」でしたが、太平洋戦争が始まると「信濃」の工事は中止された。
ミッドウェー海戦で空母4隻を失うと空母を増強する為に「信濃」は空母として建造が再開されたが損傷艦の修理や完成が近い他の艦艇が優先されて再度工事が中止された。
しかし海軍はマリアナ沖海戦での空母を失った事から「信濃」を急速工事で完成させよと命じた。1944年(昭和19年)10月15日に「信濃」は竣工した事とされたが工員が「信濃」に乗り工事は続けられていた。
横須賀から呉へ
「信濃」が一応竣工した時期は日本本土空襲が始まっていた時期である。横須賀の上空にもBー29は偵察に飛来し海軍は「信濃」が空襲を受ける事を懸念し呉へ移動させる事を決めた。残る工事は呉で行うとされた。
11月28日夕方に「信濃」は第17駆逐隊の駆逐艦「雪風」・「浜風」・「磯風」に護衛されて横須賀を出港した。
この出港にあたり護衛の駆逐隊は未明に出港し沿岸海域を通る提案をしたが、「信濃」の阿部艦長は援護の航空機が無い事から夕方に出港し潜水艦からの魚雷をかわす為のジグザグに動く之字運動をしやすい外洋を通る案を出した。結果は阿部の夜間外洋ルートで決まる。
米潜水艦「信濃」を発見する
出港した「信濃」は伊豆諸島近海で哨戒任務にあたっていた潜水艦「アーチャーフィッシュ」に発見される。「アーチャーフィッシュ」は浮上して「信濃」の追跡する。水上での速力は20ノットで対する「信濃」は機関が不完全でありながらも21ノットは出せたが之字運動で18ノットでの航行となっていた。
阿部艦長の判断は裏目となってしまった。
「信濃」のレーダーが微かに「アーチャーフィッシュ」を探知し護衛の駆逐艦が偵察を行うも漁船と判断してしまう。
「信濃」沈没する
翌日29日午前3時17分に「信濃」は遠州灘で「アーチャーフィッシュ」から発射された魚雷が4本命中した。浅い深度で調整された魚雷はコンクリートで防御を強化した箇所より上に命中した事や急速工事によって水密扉で閉じない所があるなどの不備もあり「大和」型と同じような耐久力を発揮できなかった。
浸水で傾いた「信濃」と駆逐艦が綱で繋ぐ曳航を試みるも綱が切れて失敗する。
夜が明け午前10時37分に総員退艦命令が出て乗員は脱出を始める。それから間もない10時56分に「信濃」は和歌山県潮岬沖で沈没した。阿部艦長をはじめ791人が戦死したが1080人の乗員や同乗していた工員を駆逐艦が救出し呉へ帰投した。こうして完成できず「信濃」は戦没してしまったのです。
featured image:Yamato Museum, Public domain, via Wikimedia Commons


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