佐久間奈々さん失踪事件

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日本の警察は世界的に見ても検挙率が高く、凶悪事件の多くが解決に至ることで知られています。
全力の捜査を尽くしても、解決に至らず迷宮入りとなる事件が存在するのです。

そうした未解決事件には、しばしば不可解な点が多く、もしも犯人が今もどこかで普通に暮らしているとしたら。
そんな想像が私たちに静かな恐怖を与えます。

1991年に千葉県若葉区多部田町で発生した「佐久間奈々さん失踪事件」について書いてみます。

目次

あの日、消えた少女

1991年10月26日、3人の友人とともに奈々さんの住むアパートに泊まり楽しい時間を過ごしていました。
夜も更けた頃、彼女たちは空腹を覚え、近くのコンビニへ食べ物を買いに出かけました。
ただし「近く」といっても千葉の緑豊かな片田舎の町、最寄りの店舗までは4キロ以上の距離があって徒歩でいくのは難しい。そこで自転車で出かけたのです。

その帰り道、「補導員」を名乗る中年男性に呼び止められ、叱責された後に警察に通報しない代わりに、事情を聞く代表者として奈々さんにだけその場に残るよう指示、他の3人を帰らせたのでした。

友人たちは奈々さんがすぐに戻ってくると思い彼女のアパートの前で待っていのですが、1時間、2時間が過ぎても帰らない。
不安に駆られた彼女たちは親や警察などに連絡し、すぐに周囲の捜索が行われたが、奈々さんの姿も補導員を名乗った男の行方もつかめませんでした。
・・・それから、彼女の消息は完全に途絶えてしまったのです。

証拠なき捜査の限界

目撃された中年男性は、背170cm程度の50代ぐらいと見られる人物。
特に変わった特徴があったわけではなく、記憶にも残りにくい容姿だったといいます。
誘拐の可能性が極めて高いとされたものの、当時は現在のような監視カメラもなく、コンビニ周辺の映像記録は一切残っていませんでした。

警察は人海戦術で延べ数千人規模での捜索を展開し、近隣住民への聞き込みも徹底的に行いました。指名手配対象として類似人物の捜索も行われましたが決定的証拠が乏しく、奈々さんの行方を示す有力な手がかりは得られません。
事件はやがて風化し事件は迷宮入りとなったのでした。

仮に同様の事件が今発生していれば、防犯カメラの普及やスマートフォンによる位置情報共有など、環境は格段に進化していますので、犯人の特定や足取りの追跡はより現実的だったかもしれません。

事件が残した影

この事件は、地域社会にも大きな不安をもたらしました。
子を持つ家庭や学校関係者に強い衝撃を与え、地元の中学生やその保護者にとって、見知らぬ大人に声をかけられるという日常的な状況が、突然の消失へとつながる恐ろしさを実感させた事件でした。

当時、この事件が報道された後、生徒の登下校時に保護者の同伴を求める動きが広がり、子どもだけで深夜に出歩くことへの警鐘も強くなり、この頃から塾などのならい事でも親が送迎をするのが当たり前になったと思います。

なにがおきたのだろうか?

佐久間奈々さんは今、どこにいるのか。
あの男は何者だったのか。なぜ奈々さんは一人だけ残されたのか?

これは私の推測ですが、身代金の要求もないので営利目的の誘拐ではなく、彼女は色白の美人で近所でも有名な中学生だったそうなので、男の欲求解消の為に拉致されたのではないでしょうか?
いたずらしたあとに開放するつもりが、そうもいかない状況になったのでしょう。
どこか遠くまで連れされて監禁されたのか、最悪のケースとして・・・。

一説によると、誘拐された場所のあたりには北朝鮮の工作員の秘密ルートであったようで、北朝鮮人に拉致されたのではないかという噂もありました。
真相は今も闇の中ですが、子供を狙った犯行は現在も数多くあるので、忘れることは出来ない未解決事件である事は確かです。

私は当時20代で、ニュースを見ながら「夜に出歩くのはやめよう」と感じたことを今でも覚えています。現在、私自身が親の立場になり、あの事件がいかに恐ろしく、そして悔しい出来事だったかを痛感するようになりました。
だからこそ、「忘れてはいけない記憶」として語り続けなければならないのだと思います。

※画像はイメージです。

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