テレビの番組でも取り上げられ、あるいは読者諸君の中にも体験したことがある者がいるかもしれない。
瀕死の状態で起きる臨死体験に影響を及ぼすのはどのような要素か?
国内外のアプローチの特色も交えて浅層をなぞる形で紙面を埋めていく。
臨死体験とは死の間際から生還した者がその瞬間にどのような光景を見ていたかを後に語る体験談である。
報告自体ははるか先の時代からぽつぽつと挙げられていたが、近年では医学の発展により蘇生率が上がった関係でくだんの報告件数も増加傾向にあるようだ。
国内外の臨死体験の類似点と相違点
蘇生に成功する者は国境を問わず存在するのだから、臨死体験の報告も国を隔てず存在する。臨死体験にはざっくりとパターン分けがされており、そのパターンごとに見ていけば各国の比較ができる。
ベッドに寝てる自分と診察している医者を第三者視点で見下ろしている
「体外離脱」日本では「幽体離脱」ともいう。生きている人間は体内に『魂』を宿しており、死の際に魂が体外へ抜け出て光景を映すというもので、『魂』の概念がある国では報告が挙がっている印象。
中には医者から心停止を告げられる瞬間を聞いた者もいるらしく、対象者が受けるインパクトは強いかと思う。
生まれてから今までの思い出が映像として巡る
日本では「走馬灯」、海外では「ライフレビュー」という。対象者の記憶に基づく、過去の記憶が断片的に切り替わりながら目前を映像として流れていくのが国内外共通の主流というかオーソドックスらしい。
稀に未来に起こる映像を見る(蘇生され生還後の日常生活の中で、臨死体験中に見た映像と同じシーンに遭遇する)パターンもあるという。
自分以外の誰かと遭遇する
対象者より先に亡くなっている人物や信仰神など、本来遭遇することのない存在とまみえるこのパターンを「お迎え現象」という。
現象自体は共通するが、お迎えに現れる存在が対象者の個人的な人間関係のほか宗教観の影響を如実に受ける(例えばキリストを信仰している者の前に仏陀は現れない)ので、この辺りは相違点が生じそうなところ。
それが起きる際の周囲の光景やシチュエーションも、キリスト圏ではトンネルのような暗闇から差した光とともにお迎えを受ける。
アジア圏では先述のトンネルも体験報告はあるが花畑や三途の川などの方が多く報告されている。
といったように、少し傾向が違うらしい。
国内外の臨死体験に対するアプローチ
前章の通り、国内外含めて類似点・相違点を見出せるほどの報告例が挙がる臨死体験だが。そのメカニズムを様々な切り口から解明できないかと模索する動きもある。代表的なのは医学的・科学的アプローチだろう。お迎え現象のように、現象の中に現れる存在が対象者の死生観や宗教観ひいては記憶や経験則の影響を受けているとすれば、その現象を実際に映像として作り上げ見せているのは対象者の脳ではないかと。
1892年、スイスの地質学者アルベルト・ハイムが自身の臨死体験を元に研究を発表したのがきっかけになり、欧州やアメリカを筆頭に臨死体験のメカニズムを探る研究が進められてきた。各所の研究をかいつまむと
「心停止した前後に脳から分泌される成分が幻覚症状を引き起こす作用をもっている」
「生命維持装置を外した患者の脳波を調べた際、死の際に特定の領域で脳の動きが活発化している」
など。
脳科学の分野では「臨死体験は死の際の脳活動が見せている幻覚である」ひいては「成分と脳活動の条件さえ満たせば死の際に立たずとも臨死体験と同じ現象は起こせる」とされている。
仮説
余談だが筆者は調べる前、臨死体験は「死の際から生還した者」により報告される、であれば、このメカニズムを追究し「死の際にいる者に臨死体験を任意で見せることで生還率を上げる」という所業も可能ではないかと仮説立てていた。
しかし、元より死人に口なし・・・死を迎えた者が臨死体験と同じ映像を見ていないとは言われていないのだから、仮説の破綻に気づけただけでも調べた価値はあったとする。
もう一つ。この科学的アプローチ、海外では研究が進み様々な論文も発表されているのだが。
一方で日本ではあまり表立って研究されている様子が少ないというか、科学的なそれがゼロではないのだが「日本人の臨死体験の特徴まとめ」のような文化民俗的・心理哲学的アプローチに重きを置いている印象がある。
多神教という独特な宗教観と型に嵌らない死生観の影響か・・・今回は全体的に浅層に触れた形で筆を置くので、気になった読者諸君はぜひとも仮説を立てつつ調べてみてほしい。


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