怪談師 稲川淳二は受賞歴アリのデザイナー?意外な素顔に迫る

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夏の風物詩といえば怪談。近年は巣ごもり需要からYouTubeで活動する怪談師に脚光が当たり、界隈が活況を呈しました。そんな中押しも押されぬ大ベテランとして堂々の殿堂入りを果たしたのが、80歳の区切りとなる傘寿を目前に控え、今なお全国ライブを続ける稲川淳二氏。彼は一体何者なんでしょうか?

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稲川淳二の生い立ち 元々はデザイナー志望だった

稲川淳二の本名は稲川良彦(いながわ・よしひこ)、昭和22年(1947年)に東京都渋谷区で生まれました。2025年時点で78歳。上に姉が一人、下に弟が一人います。淳二は芸名だったんですね。見た目はダンディな口髭がトレードマークのイケオジです。

稲川の母親は怖い話を好み、近所の子供たちを家に呼び集め、よく怪談を語り聞かせていました。日本の歴史トリビアにも造詣が深く、東京・鎌倉の史跡を訪ね歩く過程で、その土地所以の逸話を生き生きと披露したと言われています。
そんなユニークな母を見て育った稲川は、人を楽しませるトークスキルと幅広い知識を自ずと身に付け、小学校に上がるやたちまちクラスの人気者に。
当時の彼は10人以上の子分を従えるわんぱく自慢のガキ大将で、タレントの安岡力也と地元の公園で遊んだこともあったそうです。
芸能界で再会した2人の付き合いは安岡と死別するまで続きました。

趣味特技は絵を描くこと。
その画力は目の肥えた美術教師がお墨付きを与えるほどで、都立多摩工業高校卒業後は桑沢デザイン研究所インダストリアル科に進学。本人曰く講義をサボりがちな不良学生だったそうで、授業そっちのけで飲み会を企画する人となりから「コンパ屋」のあだ名を頂戴したとか。
六本木の絨毯バーは学生時代の稲川の行き付け。これは靴を脱いで寛ぐスタイルの酒場で、コミュ強で知られる稲川は、常連の芸能人と夜通し酒を飲みながら交流しました。同時期に舞台美術に関心を持ち、大道具の見学を兼ねて様々な劇団に出入りしています。そこで演出家に話術を買われ、セット転換時の場繋ぎを頼まれたのが後年タレントとして頭角を現すきっかけ。

初舞台で演じたのは借金取りのジジイ役。稲川はズブの素人ながら饒舌なアドリブで数分の出番を乗り切り、周囲の役者を感心させたそうです。しばらくすると劇団に所属する子役のマネジメント業務も回ってきました。
以降は舞台の助っ人と並行しながら子役の送迎や保護者の対応をこなし、業界の内外に太い人脈を築き上げます。

衝撃のタレントデビュー 『オールナイトニッポン』のラジオパーソナリティに指名

ある日のこと、テレビのオーディションを受ける役者に同行しスタジオを訪れた稲川。その番組の構成作家が元同級生だった関係で結婚式の司会を頼まれ、当日は見事なパフォーマンスで式場を沸かせました。
数日後……友人の結婚式に出席していたラジオ局のプロデューサーが稲川のトークスキルに惚れ込み、「今からラジオで喋ってくれないか」と連絡してきました。それが伝説のラジオ番組、『オールナイトニッポン』。

プロデューサー直々にご指名をもらった稲川は、前任の伊藤政則から引き継ぎを経て、1976年4月より第二部パーソナリティを務めました。リスナーの評判は上々で、タレント業に本腰を入れ始めます。

80年代中頃には『オレたちひょうきん族』内の一コーナー、『ひょうきんベストテン』にレギュラー出演。「悲惨だなー」「いかがでしたか?喜んでいただけましたか?」と、子供がまねしたくなるキメゼリフを広めました。1987年放送のドラマ『ザ・ハングマン6』、及び『ハングマンGOGO!』にて好演した、悪人への仕置きの実験台となるモルモット小父さん役も強烈なインパクトを残しています。早い話がリアクション芸人の先駆けですね。

1992年の大河ドラマ『信長 KING OF ZIPANGU』では準レギュラーの琵琶法師・慈海(洗礼名ロレンソ)役に抜擢され、トレードマークの口ひげを剃って臨んだ役作りへの情熱と、これまでのコミカルな役柄と一線を画す、シリアスな演技が高く評価されます。まさに稲川淳二の新境地でした。

一方で世田谷に事務所を構え、数々の企業から工業製品のデザインを受注しました。稲川氏が手掛けたデザインは多岐に亘り、有名どころでは新幹線の車内で使われる検札機のプロトタイプや自動車のテストボディ、コンビニやスーパーで目にするバーコードリコーダーの初期型を設計しています。平成8年には車どめのデザインで通商産業省選定グッドデザイン賞に輝き、名実ともに一流の工業デザイナーとして認められました。

独特の語り口と持ちネタの多さがウケ、怪談師のトップに

稲川を怪談師のトップに押し上げた決め手は1986年、深夜バラエティ『オールナイトフジ』初出の実話怪談『生き人形』。この話はリスナーの反響を呼び、翌年には他数編の怪談を併録したカセットテープが発売され、オリコンチャート上位に異例のランクインを果たします。1993年からは毎年恒例『稲川淳二の怪談ナイト』が実施され、全国を巡業しています。

稲川の滑舌は決して良いとは言えません。ともすれば異常な早口で聞き取り辛く、視聴には集中力が要求されます。だからこそ没入感が増し、否応なく世界観に引き込まれるのです。役者の底力を感じさせる、鬼気迫る顔芸も注目ポイント。
彼の十八番となった『生き人形』は進化する怪談と言われ、40年以上もの間連綿と語り継がれてきました。怪異は現在も進行中であり、「もうね、口にしたくない」と忌避されています。

全ての始まりは1976年。深夜にずれ込んだラジオ番組の収録が終了し、ディレクターと帰りのタクシーに乗り込んだ稲川は、高速道路の半ばに立ち尽くす謎の少女に不審を募らせました。
後日、友人の人形使い・前野博から「新しい人形芝居を掛けるから座長を頼まれてくれないか」と頼まれ快諾したものの、舞台裏で引き合わされた美しい人形はあの少女に生き写しで……。
『生き人形』が最恐の怪談として広まった要因は、三桁の関係者を巻き込む惨劇の連鎖もさることながら、現在進行形で続いている異常の拡散性にあります。

判明しているだけで人形の製作者は行方不明、脚本家の佐江衆一の自宅は全焼、 前野の従兄弟は急死。公演日には関係者一同が右手右足に怪我を負った上体調不良で倒れる者が続出。
極め付けは火種もないのに主演女優のカツラが炎上し、人形を納めた棺桶から霧が漂い出します。その際生き人形の右手の甲が割れていることが発覚し、祟りの信憑性が増しました。
この一件を知った『ワイドショー・プラスα』が取材を申し込んだ所、収録中に怪奇現象が発生し視聴者の問い合わせが殺到。

困り果てた稲川が知人の霊能者に霊視をお願いすると、おぞましい正体が明らかになり……。
後年の稲川が『生き人形』の怪談を避けるようになったのは、関係者の悉くに災いが降りかかり、生命を脅かした事実と無関係ではありません。実際の所有者や舞台役者は無論のこと、コミカライズを担当した漫画家・永久保貴一氏が階段から落ちて病院送りになり、十二指腸がねじれて悶絶する奇病を患っています。霊障が出る部位が右半身に集中しているのも不気味ですね。
とはいえ稲川の代表作であるのは確かな故に、『生き人形』の話は様々な書籍やビデオに収録されています。1997年発売のゲームソフト『古伝降霊術 百物語〜ほんとにあった怖い話〜』では101本目の隠しシナリオとして登場、プレイヤーを恐怖のどん底に叩き込みました。

障害のある次男を支えた良き父としての一面

以上、ベテラン怪談師・稲川淳二の経歴を紹介しました。コンビニで見かけるバーコードリーダーの生みの親だったのはビックリですね。私生活では26歳で他界した障害のある次男を支え続け、現在は障害児支援のボランティアに取り組んでいます。

多方面にコネクションを作り上げる人間力の高さとマルチな才能が、長年に亘る人気の秘訣ではないでしょうか?
個人的には事故死した小学生の怨念が取り憑いた『女王のための歩道橋』、八王子の心霊スポット・道了堂に纏わる『首なし地蔵』も推したいです。

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