怪談話ではないし、特に奇談という話でもない。怖い物語でもない。
でも私にとっては、あれは一体何だったのだろう? どういうことなのだろう?……って未だにわからない、腑に落ちないことを経験した。今から30年以上前に。
母が肺ガンに侵されるちょっと前だから、私が43~44歳くらいのときだったと思う。
ある日、知人が経営しているスナック(今は死語?)に友を誘った。6時頃だっただろうか、スナックで私たちは会い一緒に飲み始めた。
ウイスキーロックの2杯目をお代わりしたのは覚えている。3杯目はお代わりしていない。それは確か。だから、私に異変が起こったのは2杯目のウイスキーを飲んでいるとき。
77歳になった現在、私はほとんどウイスキーは飲まない。今夏はちょっとハイボールにハマったので随分久しぶりにウイスキーを購入したが、家で飲むのはグラスに1杯だけ。
30代~40代頃の私は結構飲んだ。7杯飲むと酔っ払ったかもしれないが4~5杯だと帰りの電車内では本を読んだこともあった。だから2杯弱で酔っ払ったということは考えられない。
2杯目をお代わりしたことまではハッキリ覚えているのだが、そのあとの記憶がない。そのあと私は気絶したらしいのである。
突然喋らなくなったので、カウンターの中の知人女性が私の名を呼んで肩に手を置いたとたん、私はガクンとカウンターに倒れ込んだらしい。
それからは、知人経営者と知らない客一人と一緒に飲んでいた友に迷惑をかけた。話を聞いて唯一うれしく思ったのは、膝が見える丈の短いワンピースを着ていたのだが、店の隅に寝かせている間、私は硬く膝を閉じていたそうである。本人は全く意識がなかったのに。
客も協力して私を家に運んでくれたらしい。一緒に飲んだ友は私の家に来たことはなかったがスナックの知人オーナーは我が家を知っていた。
目が覚めたとき、私は自分の家のなかに居て、目の前に一緒に飲んでいた友が……。その友と一緒に飲んでいたことはすぐ思いだした。目覚めは爽やかだった。頭が痛いということも気分が悪いということもなかった。
迷惑をかけた友に謝罪したが、母はその友に怒っていた。どうして救急車を呼ばなかったのかと。結果的に無事だからよかったけれど危険だったかもしれない。あのまま目が開かなかったかも……とすごく心配し、店のオーナーと友に腹を立てていた。
そんなことがあった一月後か半年後か覚えていないのだが……母が肺ガンに侵された。
ある日母は健診に出かけ、医師から家族が来るように言われ、私は仕事が忙しかったので代わりに嫂が行ってくれた。
あによめが言うには、高槻医大病院へ検査に行くように先生から指示され、その検査には私が付き添った。
母はすぐ入院ということになった。訳のわからない私の失神をすごく心配して、検査を受けるようにと言っていた母自身、突然の入院にひどく驚き、私の検査は忘れてしまったようだった。
元気だった母は、これなら手術できる体力があると判断され、最初は抗がん剤治療という説明を受けたのに、急遽、手術することになった。
そして手術後、自宅療養ということになって私は介護に専念する覚悟を決めたのに、退院からほとんど直ぐに母は嘘みたいに亡くなってしまった。
わけのわからない経過と結果だった。兄は「母の寿命」と呟いた。
百歳まで生きるかもしれないと言っていた母なのに……。頗る健康で元気だった母なのに……。この世から突然消えた母に、私は茫然としていたが……ふと、私の不思議な気絶は、その予兆だったのかしらと思った。
でないと、あの不思議な失神の原因がわからない。
世のなかにはそういう不思議なことがあるというのなら、それは納得できる。
わが家には「不思議な22日」という数字が有る。母が亡くなったのは4月22日。母の夫で姉と兄たちの父親が戦死したのは10月22日。母と仲良しだった伯母(母の姉)も22日に亡くなった。兄の誕生日は8月22日。伯母の長女の誕生日も8月22日。伯母の死亡日は母と同じ22日というだけではなく自分の娘の誕生日と同じ8月22日。
偶然とは言えない不思議な因縁。こういう摩訶不思議なことがあるのだから、母が肺ガンになる前に、その予兆として私が気絶するということが起こっても不思議ではない。
真実はわからない。でも、爽やかに目覚めた私はその日体が不調だったわけではない。飲み過ぎたわけでもない。そして母が案じた「二度目」は無い。あのとき1回限りの出来事だった。
※画像はイメージです。


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