魔術や呪術において、動物の体やその一部を利用するというのはよく聞く話だが、人間の体の一部、それも罪人のものを利用するというのはあまり例を見ない。
イギリスに伝わる「栄光の手」というのがそれだ。
絞首刑にされた罪人の右手を切断し、乾燥させてロウソク台にするのだそうだが、その実物とされるものがイギリスはノース・ヨークシャー州のウィットビー博物館に現存している。1935年に、アマチュア歴史家のジョセフ・フォードという男性が藁ぶき小屋の中で発見したものだという。
盗人を栄光に導く手
この「栄光の手」は魔力を宿すとされ、呪術師や占い師が魔術のために使用したそうだが、さらに注目すべきは泥棒が多く用いたという点である。彼らは栄光の手をどのように使ったのか?
まず、彼らは標的とした家の門前で栄光の手に火を灯す。すると家の住人は一瞬で眠りに落ちるか、麻痺状態に陥ったという。
しかし火のつかなかった場合は、住人の中に魔力への抵抗力を持つ者がいる証拠なので、侵入しなかった。さらに、栄光の手に灯された火は水では消すことができず、血か牛乳でなければならないそうだ。
日本のポップカルチャーで手をモチーフにしたものというと、ゲゲゲの鬼太郎の「手」や、特撮版のジャイアントロボに登場した巨腕ガンガーなどが思い浮かぶ。
手というのは人体の中でも道具を扱う部位であるし、人間を知的生命体たらしめている器官でもある。言ってみれば、何かを操る部位にあたるわけだ。それだけに、人体から分離された手というのは薄気味の悪い印象を与える。
罪が魔力の源泉?
加えて、犯罪者の手であるというのが不気味さに拍車をかけている。呪術に用いたり、泥棒の手助けを行ったりするわけだから、罪科の無い人間よりも悪人(あるいは、そうみなされた人物)の体から切り取る方が都合が良かったのだろう。
手は何かを指し示す器官だということにも注目すべきだ。犯罪者の手なのだから、悪事が成功するよう指示すると考えられたのかもしれない。泥棒たちに珍重されたのもそういう点から来ているのではないか。
まさに泥棒にとっては栄光へと導く手と言えよう。
右手は左手にまさる、罪人もまた然り
ところでなぜ左手ではなく右手を用いたのかという疑問が湧いてきそうだが、それはキリスト教文化に起因するものではないだろうか。キリスト教においては、右は左より重視される。キリストも処刑されて復活したのち、父なる神の右に座ったとされる。たとえ犯罪者であっても、左手より右手の方が重要だったのだろう。
キリスト教文化と書いたことで思い出したのだが、泥棒や呪術師はいずれも社会規範から逸脱した存在。
泥棒の行う窃盗行為は法的にも倫理的にも非難されるものだし、魔術はクリスチャンの信仰と相容れないものである。
そうした逸脱行為を行う彼らにとっても、指針を示してくれる存在が必要だったのではないか。
栄光の手は、そうした心理から求められたのだろう。
featured image:print maker: Pieter van der HeydenPieter Brueghel (I) (mentioned on object)Hieronymus Cock (mentioned on object), Public domain, via Wikimedia Commons


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