蝦夷こそ日本古来の人種か?

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神代から現代まで続く日本の国。
その歴史は長く、世界一と言われている。
だが、まだ文明が発達していないであろう古代日本は、土豪が各地に勢力を張っていた。

関東から東北は、古事記や日本書紀にあまり出てこない地域であるが、人々は生息して村社会を作っていたとされるのが、発掘調査からも分かっている。
その、謎が多い関東以北の東北の民、いわゆる『蝦夷』とは、なんだったのだろうか?

目次

古代蝦夷は

蝦夷は、はじめは毛人と呼ばれ、5世紀頃に中国との交易を盛んに行っていることが『宋書倭国伝』に記載されている。
そこに一文、『…東は毛人を征すること五十五国…』という個所に古代の蝦夷の呼称がある。
毛人というのは、毛深い人という説があるが、『蝦夷』や古来大和政権に従属しない異民族という扱いであった。
そのため、古来から地図上では空白地である関東以北だが、その土地には土着の集団が住んでいたのだ。

はるか時代を遡り、神武東征の頃には、神武軍に抵抗するナガスネヒコが討たれると、その兄であるアビヒコが津軽に逃れたという伝説もある。
アビヒコが逃れた先には、彼らの本拠地か従属の集団があったのだろうと推測できる。

神代における関東以北について

毛人の『毛』についての話は、土着豪族の場合にも見て取れる。
群馬県と栃木県南部周辺を含む地は、古代に毛野国と呼ばれていた。
つまりは、毛人の国と言われる説がある。

古墳時代には、吉備や筑紫等の大きい古墳があった地域とも比較しても大きい古墳があることが知られている。
偽書と言われる古史古伝『竹内文書』には、飛騨位山に日本最初の王朝があったとされる。
また、この地では、4000年前から文明が栄えていたという遺跡や巨石、ペトログリフ等も見つかっている。
長野県にある諏訪信仰とウエツフミにある富士王朝とともに、とても古くからの独自の文化があるのだ。

まつろわぬ人々

蝦夷の地に、大和王権が侵攻をする話は、歴史を見ると何度もある。
初めの東国征伐は、景行天皇の時世にヤマトタケルが行った。

景行天皇の頃は、諸説あるが、西暦で言うと75年~となっており、1世紀から2世紀であることがわかる。
余談だが、お隣中国では、漢が一度、王莽のクーデターにより滅亡し、僅か15年で劉氏による帝位奪還にあっている。
この頃の日本は、古墳時代で大和王権が中心であるが、いわば統一国家というよりは、各々が独立した部族があり、それらと同盟関係を取り連合政権を作っていたといえる。

この、同盟に反する『まつろわぬ民』のことを、土蜘蛛と呼び、ヤマトタケルは東征し討伐を行った。
その征服した領土は、東北や常陸国に及ぶ。
その次には、崇神天皇の時代には、四道将軍という将軍たちが各地の反勢力を討伐に出ている。
大彦命は、北の方角で高志の国、現在の新潟・福井県の領土へ行き、平定している。
その後も、阿倍比羅夫・坂上田村麻呂などが蝦夷討伐に向かっていることから、その都度まつろわぬ民は大和王権から離れた地で生息し、独自の文化を築いていたのだろう。

異民族の統一戦争

坂上田村麻呂とアテルイの戦いは、日本史に残る最後の異民族の統一戦争だったのかもしれない。

日本は、島国で他の国のような征服などの影響が免れたと言える一方、実は、日本にも多様な人種が住んでおり、徐々に力のある者に淘汰されていった歴史があることがわかる。

※画像はイメージです。

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