身投げが相次ぐ井戸、悲恋の夜泣き石〜江戸城七不思議怪談

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皆さんは江戸城に伝わる七不思議をご存じですか?
初代将軍・徳川家康が築いた江戸城は、『忠臣蔵』の元ネタとなった松の廊下の刃傷沙汰をはじめ、様々な血なまぐさい事件の舞台となったことでも有名です。今回はそんな江戸城に語り継がれる、恐ろしい怪談の数々をご紹介していきます。

目次

姫君と若君どっち?赤子の性別を予言する北の御部屋の猫

まずは初級編から。
江戸城は将軍や大名が執務をする本丸と、将軍の側室や奥女中が暮らす大奥に分かれていました。「北の御部屋の猫」はそんな大奥に纏わる不思議な怪談。

江戸時代、大奥では猫を飼うことが流行しました。これは側室に仕える中臈クラスの奥女中たちが、一生独身を義務付けられていた事実と無関係ではありません。殿方に嫁いで子供を産み育てることが許されない代わりに、室内飼いの猫を愛でたというわけですね。
付け加えるとお局様に取り入る手段でもあったようで、権力者の飼い猫が出産すると、子猫の争奪戦が起こったそうです。

さて、大奥には北の御部屋と呼ばれる場所があります。ここは将軍の正室や側室が出産時に使用する部屋で、懐妊が判明した女性が移される慣わしになっていました。
が、ある時から不思議な出来事が起こり始めます。北の御部屋で産み月を控えた妊婦が休んでいると一匹の猫が姿を現し、どこへともなく去って行くのです。飼い主を尋ねても名乗り出る者はおらず、皆揃って首を傾げるばかり。後日、黒猫を目撃した妊婦は立派な若君を産みました。別の妊婦は白猫を見て、可憐な姫君を産んだそうです。
同じようなことが何度も続いた結果、「黒猫を見ると男の子、白猫を見ると女の子が産まれる」とまことしやかな噂が立ち、北の御部屋の猫は江戸城七不思議の仲間入りを果たしました。猫は子沢山な生き物なので、出産と結び付けられたのでしょうか。

赤子の性別は大奥における最大の関心事だったので、猫の色で性別を判じるジンクスが生まれるのはさもありなんですね。
動物がらみの七不思議には他に「おたん狸」があります。おたん狸とは大奥に長年棲み着いている化け狸をさし、外長屋で働く女中に「お頼み申します」と雨戸越しに声掛けし、悪戯するのを趣味にしていました。雨戸を開け放っても辺りには誰もおらず、そこで初めて化かされたと気付くわけです。なかなか手が込んでいますね。
実際江戸城の敷地内では狸の目撃談が絶えず、多数の巣穴が発見されています。江戸城の庭園で夜な夜な踊る白狸は神の使いと信じられ、特別視されていたようです。

死者の怨念が宿った血湧きの井戸と月見の池

十一代将軍徳川家斉の世のこと。当時、江戸城内には複数の井戸が存在しました。そのうち一か所は将軍の湯殿専用でしたが、夜になると滾々と血が湧き出す、桶に溜めた水が真っ赤に濁るなどの怪異が絶えず、水汲みに従事する下働きたちに恐れられていました。
これが有名な「血湧きの井戸」。過去の戦で沢山の血を吸った場所に掘られた為、死者の怨念が本来は澄んだ水を赤く染めてしまったのだと、関係者は神妙な面持ちで囁き合いました。別の説ではいじめを苦にしたうら若き女中が身を投げたと言われ、いずれにせよ忌避されています。

戦死者の祟りか女中霊の呪いか……事の真相は不明なものの、将軍様の湯殿に血を注ぐわけにはいきません。これに懲りた下働きは水を汲む井戸を変え、第二の血湧きの井戸出現と女中の身投げを防ぐ為、城内の井戸には午後6時を目安に蓋をして鍵を掛けるのを徹底しました。
水関連の怪談といえば『月見の池』も外せません。大奥の庭園には大小沢山の池が掘られていました。この中に新月の夜や嵐の夜でも必ず凪いで、朧な月影を宿す池がまざっていたそうです。池の畔からは切なげな啜り泣きが聞こえ、まれに月と鬼火がすり替わることもあったと言います。故に女中たちは気味悪がって近付かず、「あの池の月はまやかしだ」「この世ならざる力を秘めているに違いない」と怯えました。池のヌシの幻術でしょうか、犯人はおろか目的もわからないのがじんわり不気味です。

後を引く不気味さでは「夜泣き石」も負けてはいません。これは江戸城の庭石に纏わる怪談。昔々、大奥で働く奥女中と将軍の小姓が恋に落ちました。二人は夜毎秘密の逢瀬を重ね、庭石に掛けて語り合ったものの、幸せな時間は長く続かず、やがて将軍様の知る所となります。結果として小姓は追放、奥女中は打ち首の憂き目に遭い、思い出の庭石の上に生首がさらされました。以来女中の命日には石の上に人魂が浮かび、痛ましい嗚咽が聞こえるようになったのです。死してなお引き裂かれた恋人を求めているのでしょうか、やりきれない悲恋譚ですね。
なお夜泣き石の怪談は静岡県にも伝わっており、こちらでは身重で惨殺された女性の霊がそばの石に取り憑き、赤子の産声を響かせると語り継がれていました。

殺人か無理心中か?戦慄の宇治の間の怪

江戸城七不思議の内分けには諸説あり、新旧の怪談が入れ替わることがよくあります。「願掛けの松」は大奥の庭に植えられた無数の松の中に、十回願掛けすると叶えてくれる木がまじっているというもの。「二回の足音」は奥女中が寝起きする長局で起きた怪現象で、上階の部屋が空いているにも関わらず、パタパタ足音が聞こえてくると言われています。両方とも不気味といえば不気味ですが、既出の話に比べるとパンチが弱いですね。
そこで取り上げたいのが「宇治の間の怪」。

嘗ての大奥には宇治の間と呼ばれる部屋がありました。名前の由来は襖に宇治の茶詰みの絵が描かれていたことから。ここは有名な開かずの間で、女中たちに避けられていました。
宇治の間が封印されるに至った惨劇は、五代将軍・徳川綱吉の世まで遡ります。当時の綱吉は世継ぎに恵まれず、養子として迎え入れた柳沢吉保の子、吉里に跡を譲ろうと考えていました。
これに待ったを掛けたのが正室の鷹司信子。実は吉里の母の染子は綱吉の元愛妾で、吉里は綱吉の隠し子である、と疑われていたのです。もともと信子と吉保は敵対しており、彼の専横を危険視していました。憎い妾の子がお世継ぎに指名されるのも許せません。そこで宇治の間に綱吉を呼び出し説得したものの取り合ってもらえず、カッとした勢いで夫を刺殺。直後に自らの喉を突いて自害した、というのが宇治の間に伝わる無理心中事件の顛末です。

綱吉の死因は成人麻疹説が有力ですが、夫の他界から間をおかず信子が死んだ為、両者を結び付ける怪談が生まれたんでしょうね。
宇治の間の幽霊の目撃者として名前が挙がるのは、十二代将軍徳川家慶。ある日のこと……たまたま宇治の間の前を通りがかった家慶は、立派な黒紋付を着こなす老女が、自分に向かって深々一礼しているのを目にしました。知らない顔だったのを訝しみ、「あれは誰だ」と聞いて回った所、お付きの者はみるみる青ざめ、「そんな人は見ませんでした」と答えるではありませんか。
まさかと思って振り返れば襖は固く鎖されたまま、老女は既に消えてしまっていました。直後に家慶は体調を崩し、あっというまに亡くなってしまったのです。

彼の死後に宇治の間の怪談を思い出した人々は、黒紋付の老婆の正体を、生前の信子に仕えた奥女中の霊ではないかと推理したそうです。彼女は信子による綱吉殺しを手伝い、後始末を引き受けのでしょうか?全てを片付けた後、宇治の間で主人の後を追ったのでしょうか。

歴史の闇に葬られた江戸城七不思議の真実

以上、江戸城七不思議の解説でした。あなたはどれが気に入りましたか?
筆者は宇治の間の怪が最も印象的でした。老婆の霊は何故家慶の前に現れたのか。死期の迫った将軍を迎えに来たのか、はたまた彼女自身が死神だったのか謎めいた行動に興味が尽きません。

※画像はイメージです。

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