あなたは世界最古の精神病院をご存じですか?歴史上、それはイギリス・ロンドンに存在した王立べスレム病院とされています。
べドラムの異名で恐れられているこの病院は、1247年の創立以来、数多くの精神病患者を受け入れてきました。
今回は悪名高いべドラムの成立過程と、精神病への差別や偏見と切り離せない、忌まわしい過去を紐解いていきたいと思います。
英語の慣用句にもなった「べドラム」のはじまり
英語の「bedlam」(べドラム)は精神障害者の保護施設全般をさす名詞。転じて無秩序な騒ぎや混乱、気違い沙汰を意味するスラングとなり、欧米に定着しました。この「bedlam」の由来こそ、同じ名前で呼ばれる王立べスレム病院。
大人気MARVELコミック『X-MEN』には、他者の脳に電気刺激を与えて恐怖の感情を催させる同名キャラクターがいますが、これは当時の精神病院で行われていた電気ショック療法と引っ掛けた命名です。なお精神病院は「lunatic asylum」(ルナティック・アサイラム)といい、月の光が狂気をもたらす迷信にちなんでいます。
べドラムの創立は1247年、今から800年近く前。当時の名前はセント・メアリー・ベツレヘム(St Mary Bethlehem)で、小規模の修道院としてスタート。精神病者の収容を開始したのは1377年頃。ヘンリー8世の修道院解散命令を受け、1557年にたロンドン市が王から買い取り、精神病院として正式に独立を果たします。
暗黒の中世は精神病への偏見が根強く、患者の人権や尊厳がまるで守られていませんでした。
少しでもキリスト教の教義や聖書に悖る言動をしようものなら最後、人狼や魔女の疑いを掛けられ、異端審問の対象になりかねません。少々話が逸れますが、人狼の存在は大麦・ライ麦に寄生する麦角菌が人間に感染し、譫妄や錯乱を引き起こした結果というのが後世の学者の見解。早い話が狂犬病と同じ現象が人間の身に起きていたのです。
べドラムが狂人の受け皿となった背景には、異分子の隔離を望む世論の影響も否めません。患者の中には双極性障害や統合失調症の者は勿論、聖書が禁じる自慰に耽っている所を家族に見られ異常者のレッテルを貼られた、十代の青年もいました。
16世紀初頭のべドラムはビショップゲート通りに面して建ち、数棟の石造の建物と中庭、教会と庭園を有していました。その実態は我々が病院と聞いて連想する場所からかけ離れており、職員による鞭打ちや水責めなどの体罰が横行し、患者は手錠や鎖に繋がれ、長期の監禁状態に置かれていました。
院内環境は極めて不潔で劣悪、患者の待遇は家畜同然。それもそのはず、べドラムの管理は刑務所を運営する部署が担っていたのです。故に職員は看守の役割を課され、患者の日常生活の世話の他、監視や拘束を任されました。1598年に実施された調査によると、べドラムの下水設備は概してお粗末なもので、施設中に汚水の悪臭が立ち込めていたと言います。最も入院歴の長い患者は25年で、大半が言葉を忘れ、廃人化していました。髪・爪・髭は伸ばしっぱなし、ノミやシラミが跳ね回っています。
見物料は1ペニー 紳士淑女が患者を棒で突く
1675年、建物の老朽化に伴いロバート・フックがデザインした新棟に移転したべドラム。見た目はパリの宮殿のようにご立派でしたが、中身は何も変わってません。いえ、ますます悪化していました。
18世紀のべドラムは1人1ペニーの見学料をとり、市民に院内を観覧させていました。参加者の多くは裕福な紳士淑女。彼等は動物園に珍獣を見に来るような感覚で、精神病者の奇行を眺めに来たのでした。入場料が無料になる毎月第一火曜日の混雑ぶりと言ったら大変なもので、押し合いへし合い大騒ぎだった模様。
クリスマスやイースターなどの祝日は家族総出で訪れる者も多く、ピカデリーサーカスと並んで市民の娯楽となる、愉快な行事として認識されていました。
さらに信じられないことに、見学者には患者を突いて興奮させる、杖の持ち込みまで許可されていたのです。
1819年には年間1万人近い見物客が訪れており、彼等から徴収した料金は、べドラムの運営費に充てられました。ちゃっかり着服した看守もいたかもしれません。
当時のべドラムの様子を知りたい人は、イギリスを代表する風刺画家ホガースの『放蕩者一代記』(A Rake’s Progress)をご覧ください。
これは放蕩者のトムが父親の遺産を受け継いだのち、女遊びやギャンブルに明け暮れ一文無しとなり、身を滅ぼすまでを描いた連作絵画。
最後の一枚、財産を使い果たして気が狂ったトムはべドラムに送られます。そこには自分を法王だと信じる男を筆頭にあらゆる気狂いが収監されており、トムは半裸で鎖に繋がれています。これは自傷行為防止用の措置で、よく見るとトムの胸にはナイフで付けた切り傷が。彼の傍らで泣いている女性は元恋人のセーラ。トムにもてあそばれ私生児を産んだのちも見舞いに通い続ける、献身的な女性です。
右手奥にはべドラム見物に来たドレスの貴婦人たちが描かれ、好奇心を抑え切れぬ面持ちで周囲の狂騒を見回しています。現代を生きる我々には悪趣味に見えるものの、彼女たち自身は本気で慈善活動……ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)と思い込み、寄付金と見物料を同一視しているのがグロテスクです。
べドラム含む精神病院で行われていた非人道的治療と残忍な体罰
近代に入り正しい医療知識と技術が広まるまで、精神病者の治療には非人道的手段が用いられていました。
まずは瀉血。これは精神病者以外にも広く用いられた治療法。中世の科学者は血液・尿・黒胆汁・黄胆汁の体液が人生を構成すると考え、この4種のバランスがとれていれば健康を維持できると考えました。翻り、どれかが過剰であれば体液を抜かなければなりません。
そこでランセットと呼ばれる小型カミソリのような器具で皮膚を切開し、ドーム型のガラス瓶を傷口に当て、患者の血を吸い出したのでした。コップの代わりにヒルに吸血させる方法もあったそうですが、想像したくありません。
続いて紹介するトレパネーションは、精神病者の体内に巣食った悪魔や悪霊を、頭蓋骨に穴を開けて追い出す方法。漫画『ホムンクルス』で知った方も多いのではないでしょうか。新石器時代には既に行われていたと見られ、小さい穴が多数穿たれた、古代人の髑髏が発見されています。
最後に紹介するロボトミー手術は、1935年に神経学者のエガス・モニーツが考案した手術。アイスピックに似た形状の鋭利な器具を瞼の裏から脳に直接刺し、前頭葉の一部を切除することで精神疾患を治す、当時としては斬新な外科的措置でした。
発表時は画期的な治療法として持て囃されたロボトミー手術ですが、徐々に人格障害などの深刻な後遺症を伴うのが明らかになり、現在では禁止されています。
暴れる患者を無力化する手段としては電気ショックも頻繁に用いられました。
チャールズ・ダーウィンの祖父エラズマスが考案した回転療法は、患者を座らせた椅子をロープで吊り、何時間も回転させるというもの。言わずもがな、眩暈を起こして嘔吐・失神する患者が絶えませんでした。
一体何の意味があるのかわかりませんが、あくまで拷問ではなく、善意の治療として実践されていたのが怖いですね。他にも革ベルトで手足を拘束したり水風呂に漬けたりなど、治療の建前をとり、様々な体罰が加えられてきた負の歴史を忘れてはいけません。
べドラムの汚名をすすぐために
以上、精神病院の代名詞となったべドラムの解説でした。現べドラム病院はロンドン郊外のケント州に移転し、手厚いケアのもと、精神病の患者を受け入れています。
悪評ばかりが独り歩きしがちなべドラムですが、妖精画家として有名なリチャード・ダッドや、生涯猫の絵を描き続けたルイス・ウェインなど、優れた芸術家が日々を過ごした場所であるのも事実。彼等にとってのべドラムは、時間を忘れて創作に没頭できる、終の棲家だったのかもしれません。
featured image:William Hogarth, Public domain, via Wikimedia Commons


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