平和は空想の産物?ユーゴ対独パルチザンを描いた「石の花」

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坂口尚の名を知ったのは、哲学者 永井均の著作『マンガは哲学する』の中。
中3か高1の頃、大学に上がったら哲学や現代思想を学んでやろうと思って手に取った本なのだが、同書の中の一節に坂口の『あっかんべェ一休』が取り上げられていた。

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坂口尚との出会い

詳しい内容は忘れてしまったが、たしか「即物的なものに囚われない」ということを悟った一休が師である僧侶に認められ、免状を授かるも、「こんなものは何の意味もないではありませんか!!」と踏み破ってしまうというシーンが紹介されていて、それが印象に残っている。

それで坂口の名を知ったのだが、大学を出てぶらぶらしている時に、古本屋で偶然『石の花』の単行本を見つけた。
どの古本屋か記憶ははっきりしていない。ともかく坂口尚の名を覚えていたので、背表紙に「坂口尚」の文字を見つけた時にオヤッと思って立ち止まったのだ。
調べて見ると、本作は第二次大戦当時のユーゴスラビアにおけるドイツ軍への抵抗運動を描いた作品だというではないか。
こういうのは大好物だ、私は早速手に取ってみることにした。

人を殺しておいて天国なんかに行けるもんか

本作のあらすじは次のようなものである。舞台は第二次大戦中のユーゴスラビア。主人公の少年クリロはナチスドイツの侵攻により家族と離れ離れになり、ガールフレンドのフィーという少女も連れ去られてしまう。
ドイツ軍を激しく憎む彼は対独パルチザンに参加し、戦闘に身を投じる。だが彼は、次第に戦うこと自体の愚かさを悟っていく。

この作品は単にドイツ軍を相手に雄々しく戦うパルチザンを賛美するというようなものではない。終盤になると、パルチザンの中にもバルゴ大尉というろくでもない奴が出てくる。
彼は「平和と自由のための戦いだ」などとうそぶきながら部下を虐待・恫喝して戦わせる愚将なのだが、ファシズムに抗うための戦いが結果として新たなファシズムを生んでしまうというパラドックスがここでは描かれている。

見出しに掲げたセリフは、もはや戦いに大義を見い出せなくなったクリロが絶叫したものだ。人々は本当に戦争を嫌っているのだろうか。バルゴ大尉のように戦いを、殺人を欲する人も多いのではないだろうか。戦うしかない、それが現実なのか・・・クリロは苦悩する。

石の花じゃないけど、石の花!

こう紹介すると「それ見ろ、パヨクどもの言う平和や自由なんてそんなもんなんだ」と考える向きを喜ばせそうだが、本作はそう単純ではない。クライマックス、戦争が終わり故郷の村に戻ってきたクリロは、ついにフィーと再会する。

物語の序盤で、クリロやフィーたちはフンベルバルディンク先生という変わり者の教師に連れられ、鍾乳洞を訪れる。その中に林立する石筍を見て、フィーは「まるで石でできた花」と感嘆の声を漏らす。フンベルバルディンク先生もその形容を絶賛し、「ぼくらの眼差し次第で石筍も石の花に見えるんだ」という趣旨の発言をする。

再びその「石の花」を目の当たりにした二人は「現実を現実として認めてしまったら それまでなんだわ」「石の花じゃないけれど 石の花!!」と感激を分かち合うのだった。

石筍も、単にあるがままにしか受け止めなければ石筍でしかない。しかし、豊かな感性があれば、それも「石の花」となる。作者の坂口が『石の花』という題に込めたもの。それは現実を「こういうものだ」と認めてしまうのではなく、今はないものを夢想し追求すれば獲得できる。
そういうメッセージではないだろうか。

石の花 (C) 坂口尚 潮出版社 / コミックトム

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