知人と盛り上がった会話の中で「悪魔ってどうしたら倒せるの?」と聞かれた。
なんて話題で盛り上がってるんだという指摘はさておき、『悪魔』という存在を国や文化がどう捉えているかで、中々に興味深い特色の違いを見せた本題を紙面に整理していく。
各国の『悪魔』の解釈
創作作品にも度々登場することから、『悪魔』という存在のイメージは、「地獄にいる」、「人間を堕落させようとする」、「ずる賢い」、「神を嫌っている」辺りが浮かぶかと思う。
作品によっては天使と対のように置かれるので、そのようなイメージも強いかもしれない。
悪魔はキリスト教をはじめ仏教、イスラム教、ヒンドゥー教、神道など様々な宗教の教典・経典で取り上げられるが、解釈や立ち位置が微妙に違う所もある。
特徴の比較のために一部抜粋して記す。
キリスト教が有する旧約聖書では悪魔は『罪を犯し堕天した元神の使い、神への敵対者』として描かれ、『堕天使ルシファー=最古の悪魔であり地獄の長サタン』とし、他の堕天使をその手下の悪魔と位置づけている。
これに対しアジア圏の仏教などでは悪魔は「マーラ(サンスクリット語で『殺すもの』の意)」と表現され、キリスト圏の堕天した悪魔と違い他の生物同様輪廻転生する存在とされている。
『煩悩の化身』ともいわれ、教典内には釈尊の瞑想を甘言で邪魔しようとする描写がある。マーラ自身に改心する余地があるとされているのも特徴である。
このように悪魔の成り立ちや姿形は各宗教内の世界観に影響される部分が見られ、それはここに挙げなかった他宗教にも通ずるが、共通するのは「神や神の教えに背き、それに従おうとする信者を誑かす存在である」という解釈の点だろう。
加えて異教徒、自教の神を崇めない者をキリスト教では『悪魔の子』、仏教では『悪魔外道』と呼び、これらは神への背きを広域に捉えている節がある。
そしてこういった共通の悪魔の定義は各宗教圏の文化に独自に根付く『妖精・精霊・妖怪・霊』などの存在との差別化にも一役買っているようだ。これらの点を踏まえた各宗教の悪魔の倒し方を次章から見ていく。
悪魔に対する「倒す」というアプローチ
創作作品から得た知識やイメージ的にも、また各宗教的にも、悪魔とは神ひいては自身を脅かす存在で打倒すべきと位置づけられているが。その方法は宗教が悪魔をどのように捉えているかで特徴が分かれる。
悪魔祓い
悪魔を倒すと聞いて真っ先に思い浮かぶのが『悪魔祓い』で、特にキリスト教のそれが印象強いかもしれない。
悪魔祓いは他の宗教にも存在する概念であるが、キリスト教。
特にカトリックでは「自分たちの悪魔祓い(=エクソシズム)が唯一正当なもので他の宗教が行ってるものとは違う」と主張されている。
確かに、儀式を行い信者に憑いた悪魔を追い払うカトリックの悪魔祓いと、信者に取り憑いた悪魔を取り除き最後に悪魔を許す仏教の悪魔祓いでは明確な違いがある。
『悪魔≒厄災』と捉え定期的な厄落としを悪魔祓いと呼ぶ神道を踏まえても、悪魔をどう解釈するかでアプローチに相違点が生じている。
異端審問
『悪魔=異教徒』と捉えた場合はこのアプローチも視野に入ってくる。唯一神を据える一神教によく見られるが、かといって多神教圏では見られないかと問われればそんなこともない。宗教が国教か民間か…その規模に関わらず、神への信仰の妨げになる者は排他の対象とされている。
『悪魔』という存在の捉え方
整理すると、各宗教や文化から見えた悪魔の相違点としては
- 悪魔が存在する経緯(キリスト教の堕天、仏教の輪廻転生可能な一生き物など)
- どのような存在か、その解釈(キリスト教では「神に敵対するもの」、仏教では「瞑想を邪魔する煩悩」、神道では「≒災厄」など)
- アプローチ(追い払うor許す・改心を促す)
といった点が挙げられる。
特にアプローチ面は「悪魔との付き合い方」ひいては「悪魔という名の『己の信仰心を脅かす概念』との折り合いの付け方」に言及しており、本題の『悪魔の倒し方』とはこの言及を突き詰めた先にある各宗教の共通認識の「悪魔とは神の教えに背き信者の信仰心を削ごうと誑かす存在である」という点を押さえつつ帰結していくことになるだろう。
またここには名を出さなかったがキリスト教と同じ『悪魔=サタン』という認識のユダヤ教やイスラム教にも共通・相違点が見られ、各々宗教の成り立ちや解釈が影響しているのがわかるので、興味が湧いたら調べるとより楽しめるのではないかと思う。
あと今回宗教的観点から紙面を埋めるためにあえて触れなかった「悪魔に対する医学・科学的アプローチ」。
以前まとめた『獣憑き』と多少被る部分もあるがこちらも中々興味深いので、合わせて調べてみてほしい。

※画像はイメージです。


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