皆さんは人ならざるものどもが跳梁跋扈する怪異譚が好きですか?
平成に刊行された『新耳袋』シリーズや『事故物件 恐い間取り』シリーズなど、近年の実話怪談ブームが盛り上がりを見せているのは周知の事実ですが、江戸時代にも既にその兆しはありました。
今回は血気盛んな16歳の少年を1か月間襲った怪現象の記録、『稲生物怪録』の奇々怪々な内容をご紹介していきます。
きっかけは肝試し 祟り杉の禁を犯す
庶民の暮らしが安定期を迎え、娯楽需要が高まった寛永2年(1749年)、ある柏本が脚光を浴びました。題名は『稲生物怪録』。作者は広島藩藩士・柏正甫で、同僚の稲生正令(通称・武太夫、幼名・平太郎)の少年時代の体験を書き綴っています。
後日、稲生正令自らが一人称文体で記した『三次実録物語』を出版。以降は国学者・平田篤胤とその門下生が纏めた『平田本』や緑園公子が漢訳した『稲生霊怪録』など、様々なバージョンが派生していきます。大衆の熱狂度合いが伝わりますね。
全国の怪談マニアが『稲生物怪録』に寄せる関心は今なお絶大で、『ゲゲゲの鬼太郎』の水木しげるや『帝都物語』の荒俣宏を筆頭に、明治の文豪・泉鏡花の『草迷宮』、折口信夫『稲生物怪録』、稲垣足穂『山ン本五郎左衛門只今退散仕る』など、様々な著名人に創作の着想を与えています。『モノのケものぐらし 稲生物怪録異譚』他、大胆な翻案に挑んだ漫画もあります。
アニメ化もされた和風ファンタジー漫画、『朝霧の巫女』の副題は「平成稲生物怪録」。同じ三次(みよし)を舞台にしている関係で聖地巡礼に訪れるファンも多いとか。 各巻の表紙を飾る稲生神社のモデルとなった太歳神社は、圧巻の威容です。
路生よるの小説『地獄くらやみ花もなき』に登場する地獄代行業の美少年・西條皓も『稲生物怪録』のラスボス・山本五郎左衛門の息子と位置付けられており、現代のフィクションに及ぼす影響の大きさが垣間見えますね。『銀魂』で有名な空知英秋の読切漫画『しろくろ』や『うしおととら』、『地獄先生ぬ~べ~』にも出演しているので、ご存じの方は多そうですね。
タイトルの読みは決まっておらず、「いのうもののけろく」派と「いのうぶっかいろく」派に分かれているとか。
本作の特徴は実話怪談の体裁を執っていること。
主人公の稲生平太郎は向こう見ずな16歳の少年。怪力乱神を恐れぬ豪胆な言動に定評があり、地元では怖いもの知らずで通っています。両親亡きあと稲生邸当主の座を継ぎ、備後の国・旧三次藩の町内で、家来の権平と共に暮らしていました。
寛永2年5月、平太郎は隣家の力士・権八を家に招いて百物語を開催。怪談会がお開きになったのち、平太郎は深夜の比熊山へ肝試しに赴き、天辺の祟り杉にキズを付けてきました。これが全ての発端です。
約2か月後の7月1日、平太郎が眠りに就いた刻限。突如として家の外が明るくなったのを訝しみ、勢いよく障子を開け放って縁側に出た所、身の丈が土塀を越す一ツ目入道がヌッと覗き込んでいました。即座に我に返った平太郎は、続けざま腰の刀を抜き放ち、不気味な入道を追い払います。
この珍事を皮切りに毎晩の如く怪現象が相次ぎ、平太郎を取り殺すべく、化け物どもが押しかけてくるのでした。
部屋中飛び回る生首と通せんぼする老婆の顔
夜毎稲生邸に化けて出る怪異は千差万別多種多様。いずれも奇天烈極まる独創性に溢れており、ろくろ首や河童など、既存の妖怪の枠に当てはまりません。
ある日のこと、所用で外出しようとした平太郎はぎょっとしました。敷地と通りを隔てる門に巨大な老婆の顔が浮かび、カッと目を剥いて行く手を塞いでいたのです。別の日は狂った哄笑を上げ部屋中飛び回る女の生首に叩き起こされ、別の日は蟹に似た目と脚が生えた漬物石に追いかけ回されます。
一番困ったのは寝入りばなに布団から水が湧き出した時。哀れ寝間着は褌に至るまでびしょ濡れ、畳はすっかり水浸しになってしまい、高鼾で寝直すどころではありません。不幸中の幸いと言えば、翌日には部屋が綺麗に元通りになっていたこと位でしょうか。
ある晩は大勢の虚無僧が寝所に犇めき、狂ったように尺八を吹き鳴らしました。別の晩は枕元の行灯の火が激しく燃え上がり天井をなめ、火事になるのではと平太郎を慌てさせます。他にも寝ている間に布団を宙吊りにされる、大嫌いなミミズが無限に這い出して来る、囲炉裏の灰がだしぬけに吹き上げられ咳き込む羽目になるなど、物理的・心理的嫌がらせのバリエーションには事欠きません。
それでも引っ越しをせず堂々と振る舞っていると、親しい友人知人に化けて稲生邸を訪問し、油断させてから脅かす陰湿な作戦をとってきました。平太郎の話を聞いて妖怪退治に名乗りを上げた親類も、邸内に蔓延る怪異に寿命を縮め、そそくさ逃亡する始末。
斯くして稲生邸は人外魔境と化し、物見高い野次馬も名前を聞いただけで逃げ出す、阿鼻叫喚の化け物屋敷と成り果てたのです。
魔王・山本五郎左衛門出現!危うし平太郎の運命は?
摩訶不思議な現象に終止符が打たれたのは1か月後、7月30日。その日も平太郎は家に籠もり、怪異が悪さを働かないか、刀を構えて見張っていました。
すると立派な裃を着た四十代ほどの侍が現れたので、悪鬼の類と早合点して斬りかかった所、幻のように消え失せてしまいます。
平太郎が刀を納めるのを待って再び現れた侍は、自らを山本五郎左衛門と名乗り、稲生邸を30日間襲撃した怪異たちの親玉であると宣言。
曰く五郎左衛門は朋輩の神野悪五郎と地獄の魔王の座を賭けて争い、勇敢な少年100人を先に驚かせた方が勝利する盟約を取り結び、インド・中国・日本を渡り歩いていました。
その86人目に当たる平太郎は、最恐を以て知られる五郎左衛門一味が初めて敗北を味わった相手。
30日間連続で下僕をけしかけたにもかかわらず、彼が全く怖がらないので遂に降参を認めた五郎左衛門は、「これ以上は手出しをせぬ。今後神野の一味が悪さをした時はこれを振れ、我らが加勢致す」と誓い、神通力を宿す木槌を渡して去って行きました。
五郎左衛門が平太郎の勇気を称えて贈呈した木槌は、広島市東区の國前寺に宝として収蔵されており、毎年1月7日に行われる「稲生祭」にて、参詣者に御開帳されています。
平田篤胤が編纂した平田本では、初来日は源平合戦の時となっており、妖怪の中でも古参の長老であることが推察できました。平田神社所蔵の妖怪画では三ツ目の烏天狗として描かれているものの、天狗や狐狸の類では断じてないというのが本人談。明治19年(1886年)の『怪談稲生武勇伝』では、平太郎に渡したのは木槌に非ず「蒼生心経術」と題された巻物に変更されており、これには難病を癒す呪法が記されているそうです。
『稲生邸物怪録』は広島ではメジャーな逸話のようで、南町奉行・根岸鎮衛の随筆『耳嚢』にも芸州比熊山を統べる妖怪、三本五郎左衛門(さんぼんごろうざえもん)が登場しました。同『耳袋』には文化5年(1808年)に地元の武士・五太夫が真定山に登り、妖怪の棟梁・石川悪四郎と邂逅する話も収められています。
あらすじは概ね同じですが、悪四郎バージョンでは最終日に僧侶に化け、三尺のねじ棒を渡しているのが愉快な違いですね。
今も色褪せぬ『稲生邸物怪録の面白さ』
今も昔も怪談マニアの心を掴んで離さない『稲生邸物界録』の解説でした。
本記事で興味を持たれた方は、ぜひ広島県の三次に聖地巡礼をしてください。
現地には平太郎の子孫が暮らしており、稲生武太夫のお墓や、「湯本豪一記念 日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)」の常設展示を見学できます。
featured image:Kashiwa Seiho (柏正甫), Public domain, via Wikimedia Commons


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